小川忠太郎先生剣道話(9)~「もっと遠間から!」(植芝盛平)~
一足一刀からが剣道だと思っているが、そうじゃない。もっと遠くから。もっと離れた所から。
植芝っていう人はやっぱり大した人だったね。合気道を創った植芝盛平さん。
いつか一緒に広島へ旅行した。その時佐瀬弧唱さんが一緒だった。
そしたら植芝さんが、「小川先生に言うんじゃない。この若い人(同行の阿部・石渡宏道会会員)に言うんだ」と前置きして、「剣道は、一足一刀の間合いから始まると思ったら間違いだよ。もっと遠い所から。」と言った。
偉いね。遠い所から始まる。掛かり稽古をしっかりやると、そういう修練が出来る。掛かり稽古には、遠い所から打っていく部分がある。この稽古を本当にやっておくといい。遠間の稽古がそこで出来る。
話でなく。掛かり稽古で覚える。ズーッと離れてね。
遠間と気持ちの切れない修行をしていくと、掛かり稽古が出来る。
どの場合も気持ちが切れない。それで剣道のほとんどは終わっちゃう。自分一人の問題は、それで片付いちゃう。
後は相手に対してだ。相手は十人十色だからね。作り付けのものはない。
相手はその場その場で千変万化だ。
掛かり稽古で十分稽古が出来ていると、遠間でも近間でも、なんでも出来る。それから気持ちが続く。
自分の本体が出来れば、ほとんど剣道の半分は終わりだな。後の半分は、相手に対しての事だ。これは一生涯だよ。相手は無限だもの。
今はもう、そういう修行をした人がいなくなったね。
明治38年に武徳会に武術教員養成所というものが出来て、武道の講習生を20~30人くらい採った。そこで鍛えた人にいい人が出た。そこで10年やった人にね。
内藤高治先生がいて、若い人を切り返し、掛かり稽古で20歳から30歳くらいまで鍛えた。
その教育を受けた者が東京や何かへ来て指導した。
最近まで剣道が良かったのは、その人達のお陰だ。持田先生とか、そういう人達のお陰。
もう、そういう人達がみんな死んじゃった。そういう修行をした人がいなくなった。
これは問題だ。
それでは、何によって修行するのかというと、形と伝書だよ。一番いいのは、いい人がいること。人がいなくなったらそういうもので修行する。これ以外にない。
昭和55年2月
『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より
令道 記
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