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持田先生は国の宝~小川忠太郎先生剣道話(68)~

持田先生〈注1〉は国の宝だ。人間の素質がいいんだ。こういう人は珍しい。

誰でも普通の人は、名利を目標として生活している。それが当たり前、それでいいんだが、あの先生にはそういう観念がないんだ。だから、修行がどんどん進むんだ。

それと、(持田先生の)先生が良かった。内藤高治先生だ。20歳ぐらいで、そういう崇拝する先生に出会うと、生涯の影響を受けるんだね。

持田先生は、20歳で京都へ行って10年間内藤先生の指導を受けた。それで基礎が出来た。

みんな、持田先生の稽古は見たことがないだろう? (武藤)「一度だけ見たことがあります。武道館で、高段者3人掛けを見ました。」

良いのを見といたな。あれは良かったよ。あの時、持田先生は83歳。

最初に掛かった人は、普段教えている人だから、大したことはない。2番目も良い稽古だが、大したことはないんだ。 3番目は、持田先生は教えたことのない知らない人だろう。〇〇という北海道の八段だよ。こう立って、五分(ごぶ)に構えられないんだからね。直ぐ掛かり稽古〈注2〉になっちゃった。 五分におれないんだ。大したもんだね。〇〇っていうのは50歳ぐらいだろう。先生は83歳だもの。

ああいう試合を見ておくといい。

昭和57年4月25日 宏道会剣道場にて

『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より

〈注1〉……1885~1974。「昭和の剣聖」と称される剣道家の一人。範士十段。 〈注2〉……上級者である元立ちに対して、掛かり手が一方的に攻めて打ち込んでいく稽古法。


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