小川忠太郎先生剣道話(21)~「一心一刀」~
まず「かたち」から正確にね。かたちと精神は別じゃない。 これは非常に難しい。 かたちと精神を一つにすれば、「一心」という所に入る。これはもう説明できない。説明すればするほど、そのものからはずれちゃう。 法定の基礎の、木刀を持たない稽古を本当に厳格に、息を止めて一所懸命何回もやると、倒れちゃう。それだけでね。 それが「一心」なんだ。その位やらないと駄目なんだ。 それを息を抜いてやるから、いくらやってもなんにもならない。それを一所懸命やっていると「ポコッ」と悟れる。 最初の「一心」という所は年月じゃないね。これは真剣にやっていると「ポコッ」といく。 技でもそうだ。切り落としなんかでも、一所懸命やっているうちに自然にそういう技が、「ポコッ」と出る。 そうすると身に付いちゃう。そうすると、後の教えなんかもすぐ分かっちゃう。 例えば、構えは顎と腹と腰の一致。丹田の力が抜ければ腰が折れる。腰が折れれば、くたびれちゃって顎が出る。 これはもう死に物なんだ。 この三点でいく。顎と丹田と腰でいく。そうしようとしても 出来はしない。一所懸命やっていくと「パッ」とそこへはまる。 この基礎さえ分かれば、一刀流の形でも後はすらすらいく。言葉はない。「一心」と言うよりない。もっと丁寧に言えば、「一心一刀」だね。「三昧」の所から一本出る「一心一刀」。これが形の中に入っている。 現実に言えば、こう例をして、これで「ズーッ」と中段に構えた所です。これでいい。後は相手に応じての働きが出る。 ここが「ピシャリーッ」と決まってなきゃいけない。 そういうことだから、どの時でも真心を込めて、いいからかんにやらない。 直心影流の形の場合は、どの技でもみんな相打ち相打ちの連続だから。 皆さんが、そのうちに「一心一刀」という所を体得する。これは剣道ばかりじゃないですよ。これが元になる。骨を折れば折るだけいい。 内容の深いものだから、そこをめがけてね。形というものは尊いものなんだから、しっかりやってください。 昭和55年4月 『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より タイトル、抜粋… 令道
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