小川忠太郎先生剣道話(25)~「俺は生きている!」~
僕は考える癖があるんだね。数え17歳ぐらいから「死ぬ」ということばかり考えていた。変な性質だな。 それが、22、3歳になったら、現実の問題になったね。 こうなると、これを解決しないかぎり、にっちもさっちもいかない。 それで、25歳の時「生きてる!俺は生きてる!」(<注>熊谷の荒川土手を歩いていて、その刹那、体が高く飛び上がったという。連日の荒稽古で、今日死ぬか明日死ぬかという日々を送っていたが、そんな肉体的な苦しさよりも、生死の問題が解決できない苦しさの方が苦しかった…と後に述懐されている)ということに気がついたら、全部解決した。 それでいいんだ。事実だもの。作り物でもなんでもありはしない。現実に自分はあるんだ。それに気づけばいいんだね。 そうすれば「パーッ」と分かる。 頭で考えるから、おかしなことを考えちゃう。 デカルトなんて人は【われ思うゆえに我あり】と言ってる。 思うから自分がある。そんなことは余計なことだよ。思わなければ自分はない。 これは、有名な哲学の命題だ。【われ思うゆえに我あり】。 遠回りなことだよ。 「俺は生きている!」。それが分かると、自分一人で生きている上では3年ぐらいは愉快で愉快でたまらない。 ところが、落ち着いて考えてみると、自分の周囲に他人がいるものね。自分だけ認めた時は、他人は認めないものね。 そうすると、社会で生きる上に自由でなくなってくるな。 我々は人間だよ。同時に日本人だ。 そういうところにぶつかったら、また、にっちもさっちもいかない。 これも理屈じゃ分からない。 (次回につづく) 昭和54年4月 (『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より) タイトル、構成、(注)…栗山令道
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