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「法」の修行(人に施して求めず) 小川忠太郎先生剣道話(51)

更新日:2020年4月4日



小川忠太郎先生剣道話(51)~「法」の修行(人に施して求めず)~ 本当に自分に納得がいくものというのは、万人に共通で時代も超越している。 そういうものは(本当に自分のものにするのは)大変ですよ。 東洋では、それを名前を付けて「法」というんです。 「法」というものは、日本では「神」、かんながらのみち、儒教では「誠」とも「道」ともいう。 土地によって説きかたは違うが、根本は同じで、人間が作ったものではない。 人間ではどうすることも出来ない。 しかし、そういうものがあるということを信じることが、人生の土台になる。 それが入るのは14、5歳のときが一番入りやすい。 私にその体験があった。 16歳のとき、校長先生から聞いた話で、私はそれで一生来ちゃった。 どういう話かというと… 日蓮が「俺はもう悟りを開いた」というつもりで冬道を歩いていると、橋の下で乞食が寒そうにうずくまっていた。 日蓮が衣を与えると、乞食は知らーんぷりして何も言わない。 そこで、さすがの日蓮も、「あんたは人に物をもらって有り難いと思わないのか?」と乞食に言うと、乞食はこう言ったというんだ。 「あんたは人に礼を言ってもらおうと思って衣をくれたのか?」 この乞食の一言で、日蓮はホントーに悟った、という話だった。 この乞食は、お坊さんだな。 お坊さんが修行してるんだな。 それが私は腹に入っちゃったんだなぁ。 人に施して求めない。 ただ与えるだけ。 それでいくとね、世の中がラク(楽)ーになる。 法定の形の根元は「法」。 その「法」を修行する。 容易なものじゃないが、本当は難しいものじゃない。 自分の身体の中にあるものを磨いていけばいいんだから。 そういうものがあるということを、若い人は信じること。 では、歳をとったらダメかというと、そうではない。 80歳で志を立てて、不眠不休の座禅3年で徹底した例もある。 そういう物凄い力というのは、年齢じゃないな。 以上、平成2年8月、水戸内原武道修練会にて。 宏道会60周年記念品DVD第1巻より。 ※DVDが聞き取れないと言う方がおられたため、栗山が大筋をまとめました。 ※タイトル、()内栗山令道

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