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「生きる」ということだけだと狭くなる 小川忠太郎先生剣道話(26)

小川忠太郎先生剣道話(26)~「生きる」ということだけだと狭くなる~

加藤先生(<注>加藤完治。小川先生の師。大正15年、現在の日本農業実践学園にあたる日本国民高等学校を創設。農家の子弟を教育した。教科の一つに直心影流法定の形の修練を置いた。)と28歳のときに縁があった。 それでその話(<注>前回参照)をしたら、加藤先生は私と同じ経路を来た人だね。精神的な人で、大学時代からいろいろ考えて、大学を卒業してからクリスチャンになっちゃったんだな。 ところが、クリスチャンになってみたが、キリスト教では現実問題に合わないことがうんとあるんだ。「博愛主義」は。 それで、それもやめちゃってね、自分としてもまだはっきりしないとき、30歳のときに一人で赤城山に登って、大暴風雨に遭ったそうだ。死ぬような目に遭ったって。 死ぬというところまで来たときに「俺は生きる!」と決めたって。 生きるか死ぬかというところにぶつかってしまうと、決まるんだ。 それで腹が動かない。それか30のときだそうだ。 そういう点、僕と同じなんだ。 加藤先生は33歳のときに筧克彦(かけいかつひこ。憲法学者)博士の話を聞いて、物の道理、つまり自分と社会との関係がすっかり分かった。 「生きる」ということだけだと狭い人間になっちゃう。 「俺は人の世話にならない。自分は自分だけでやる」ということだけだと狭くなる。 剣道にはそういうところがある。 個人として強い。直心影流の山田次郎吉(加藤先生の師)という先生がそうだ。 人の世話にならない。死ぬ前に自分の棺桶まで作っている。 しかし、よく考えてみれば、棺桶だって人に作ってもらってるわけだ。自分で木を組んで作るわけじゃないんだから。 そういうふうに狭くなっちゃう。 これが剣道の欠点だな。 ところが、加藤先生は筧博士の話によって広い人間になってる。  (次回につづく) 昭和55年4月 (『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より) タイトル、構成、(注)…栗山令道

 
 
 

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