小川忠太郎先生剣道話(27)~「西郷南洲でも山岡鉄舟でもみんなそこなんだ!」~
(前回より続く) ところが、加藤先生は筧博士の話によって広い人間になってる。 実に広々としたものだ。「惟神(かんながら)の道」ですよ。 僕はそこがわからなかったんだね。そこに引っかかっちゃたんだ。僕がその話をしたら、加藤先生は「その一本の柱が立ったら、もう一本立てる。そうしたら本物になる。」と言ってくれた。「西郷南洲(隆盛)でも山岡鉄舟でもみんなそこなんだ!」って。 そのためには「気を抜くな!」って言ったよ。この一言を教わった。28歳の時。 ああでもない、こうでもない、そんな説明なんか駄目なんだ。 「気を抜くな!」。 そういうものは、自分の内にあるんだもの、外から教わるものじゃない。 「気を抜くな!」。 大教育者だね。 そんなことを説明されれば分からなくなっちゃう。愛だ慈悲だと言われると分からなくなっちゃう。 自分で「パッ」と。 段々落ち着いてくると、人間が自分一人で生きている部分なんか、ほんの一部だということに気が付く。ほとんど全部人の世話で生きてるね。 この寿司だって、お茶だってそうだしな。なんでもかんでも、人の世話で生きてる。 自分はほんの一つの分担を持っているだけだものな。 だから、分担の寄り集まりだ。 そこが分かれば、みんな自然に仲良くいくわけだ。そういうことなんだ。 そうすると、世の中、何をやってもいいということになるね。みんな必要なものだもの。 だから、できたら自分の性格に合ったものがいいな。好きなものの方が努力できる。 絵の才能がある者は絵だっていいよ。音楽の人は音楽でもいいし、作り付けのものはない。 その代わり、ほかも認めなきゃね。そうすると広くなる。 こういう風に説明すると分からなくなっちゃう。 「気を抜くな!」。 大教育者だ。私にそんなこと言ってくれた人は一人もなかった。 昭和55年4月 (『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より) タイトル、構成…栗山令道
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