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執筆者の写真宏道会案内人

【両鏡相照らす】 小川忠太郎先生剣道話(36)

小川忠太郎先生剣道話(36)~【両鏡相照らす】~

剣道は相手があるから、自分だけ認めても駄目。「相手がある」ということを認める。これが大変なんだ。 相手がないといって、「オーオー」とやっていて、「ボコッ」と打たれて、「あれあれ」と思う。 相手が分からない。 相手があるが、相手がどこで決まっているかというと、剣先で決まっている。 剣先がここにあるから、「ああ」と言って行っても打てるものじゃない。 たいていの人は、相手は「からだ」だと思っている。 身体目掛けて打っていくから、みんな障害物に当たっちゃう。 身体じゃない。剣先なんだ。目と腹と剣先。剣先。 この(竹刀)先に目が付く。 これを通らないで、からだを見て来るから駄目。相手が分かるということは、相手の剣先が分かるということだ。 そうすると、容易に入れる(自分の剣が攻め、打突によって、相手の剣先より中に大きく入ること)ものじゃない。 これは、大変なんです。孤唱さん(人間禅第二世総裁、宏道会初代会長)の言う【両鏡相照らす】というのはこれなんだ。 三角矩(さんかくく。目と腹と剣先を線で繋いで出来る三角形の矩がはずれないこと)の本体だけだと、自分だけなんだ。一枚鏡。 相手があれば、相手にも鏡がある。鏡と鏡とが相照らす。これが剣道なんだ。 それだから剣道は難しい。 自分があり、相手があるということを認めるまでが大変なんだ。 それで、その後は、刻々時間によって変化がある。その変化が技だ。 だから、技は、その場その場で作っていく。だから、技は臨機応変。こうしようという形はない。そういうもの。 自分がちゃんとある。三角矩がちゃんと出来てる。 相手は、剣先で構えが決まっている。 鏡と鏡が相対している。その間に雑念が少しも入っていない。 これを修行するから、日常生活に役に立つ。 相手があるから、相手によって変わっていけばいいんだ。自分だけじゃ駄目だ。 (次回に続く) 昭和55年7月 (『小川忠太郎先生剣道話第一巻』より) タイトル、構成、()内…栗山令道

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