小川忠太郎先生剣道話(10)~どこにも心がない。ここに行かないと…~
稽古が良くなってきた。どこが良くなってきたかというと、少し落ち着きが出てきた。
ただ、まだ修行が足りないから、大事な「気剣体の一致」が出来ていない。
剣道は「気剣体の一致」が基本だ。「構え」。
こう構えた時に、竹刀を持っておりながら竹刀を忘れており、立っておりながら、身体を忘れている状態。これが「気剣体の一致」。修練するとそうなる。
簡単に言うと、風呂上がりのような気持ちだね。いい気持ちだね。
どこにも心がない。ここに行かないと「働き」が無い。
みんな地稽古してみると分かるだろ?私と稽古して竹刀が邪魔になるだろ?
そして、しまいには考えてしまう。それがいけない。
本当に気剣体の一致が出来れば、相手があっても相手を忘れてる。そこへはまる。
これを説明しろと言われても説明出来ない。だからと言って、私のまねをして、黙って立っていると、すぐ打たれちゃう。何もしないで立っていれば。
立っていることは誰でも出来る。「案山子(かかし)」は立っている。立っているだけではなく、「働き」がなくちゃいけない。
そういう所は説明出来ないから、形とか基本の稽古の場合に、それをしっかりやって自得する。
切り返しでしっかり身体をほぐさなくちゃいけないが、例えば法定の形の場合でもね、この足だけでいいんだ。
これを細かく言うとね、こう足が出て、一番安全な体勢から「ズーッ」と左足が出るだろ。一番隙がないだろ。それから、右足が「ズーッ」と出る。
例えて言えば、茶碗の中に水を一杯に入れておいて、こぼさないように持っていく。これが「気剣体の一致」だ。
この「気剣体の一致」で攻められるから、打たなきゃいられない。催促されるようなものだ。
催促されて打ってくるんだから、そこをすりあげればいい。
普段、この基本を自分一人でしっかり稽古する。「アー、ウーン」とね。
これで修練すると、自分で「ああ、そこなんだ」と分かる。世間のように「バタバタ、バタバタ」やっていると、気持ちが上がってしまう。
昭和55年3月
『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より
令道 記
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