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「先」までいくと、禅と一致する(上) ~小川忠太郎先生剣道話(64)~

剣道を仮に分けると、刀と体と心の三つに分けることができる。しかし、この三つは別じゃない。話がしやすいから、仮に分けただけ。本来は一つ。刀法と心法は一つ。これを体得するんです。これがバラバラになっちゃだめなんだ。 しかし、体得するための順序として、バラバラに研究してもいい。 切り返しと掛かり稽古で刀法と体の法を覚える。刀法だから、刃筋を立てる。体の法だから、自分の思うように体が動くように修行する。 これをしっかりやらないと、ある程度から伸びない。左足が横になっていたり、左手をこう横に持っておったりしたんじゃ、初めは強いようでもだめになる。 これを早くからやる。みんな、一生懸命やっているから、切り返し、掛かり稽古が大変良くなったですね。 あとは、形と地稽古で心法を練る。剣道の言葉で言うと、心法は「先(せん)」と言う。 剣道では「現在」とは言わない。「現在」と言うと、現在で止まっちゃう。現在から「グッグッグッ」と出ていく。「先」と言う。 だから、お互いに一足一刀(一歩踏み込めば相手を打突できる間合い)で構えた時に「先」がかかっていれば良い。「先」がかかっていれば、動かなくも「生きてる」。これに対して、現在に止まっているのを「居着く」と言う。 だから、剣道は「先の連続」が修行だ。いつでも「先」だ。「先・先・先・先」。それが心法の修行。 もうひとつ別の言葉で言うと、「乗る」ということ。相手と構えていて、互角に対立しようと言うんじゃない。「ズッ」と相手に乗る。相手と自分が一つになる。この修行なんだ。 乗っていれば、「機」によって技が出る。思わないで技が出る。これが心法だ。そんなに「ごてごて」したものじゃないけれど、これが実に難しい。 (続く) 昭和57年3月28日宏道会剣道場述 (『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)


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