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剣豪の人間形成(2) 一刀流開祖 伊藤一刀斎(下)

「剣豪の人間形成(2) 一刀流開祖 伊藤一刀斎(下)」


<一刀流を創建>

 前原弥五郎は伊藤弥五郎影久と改め、諸国を週歴し幾度か強敵に会い、戦って悉く勝ったが、未だ自分の心の内に真の安定を得ていないので、魂をもっと深く養わなければならないと志し、或る年の寒中に伽藍に入り独り端坐し鉄如意を手に握って心気を鎮め、食を断って想を練り、胆を養い熱願すること数日の後に、いつとはなしに三昧の境に入っていたのに不思議や掌中の鉄如意が火を掴むように覚え、またハッと思って気が動くと今度は冷たいこと氷を握るように感じた。


 影久はこの霊験に強く心を打たれ、それから尚、練磨を重ねること数年の後に自ら意識して掌中の鉄如意に命じて思いのままに気血を流通移行させることが出来るようになった。彼はこの霊妙な体験を基として心身刀が一如となることを悟り、剣心一如の妙理を一心刀と称し、外物一切を一心の味方となし、応敵必勝の秘法を覚え彼成一体万物一如の玄理を得、己が流名をたてて一刀流と称し、自ら一刀斎と号するに至ったのである。


<天下一剣術之名人>

 一刀斎は住居を構えず、天下を横行闊歩し、旅籠屋の外に『天下一剣術之名人伊藤一刀斎』と札をかけ、良師を求め、その地の剛の者と勝負を試みるが誰一人として一刀斎を破る者がなく、多くは門弟となって彼の教えを受けた。


<払捨刀、夢想剣などの極意を悟る>

 愛人に欺かれて刺客に寝込みを襲われ、逆襲したときに生まれたという秘太刀「払捨刀」を悟り、戒めとして極意に残す。

 鶴岡八幡宮に参籠して無意識のうちに敵を斬り、「夢想剣」を悟る。

 その後も一刀斎は諸国を遍歴し、生涯で真剣勝負すること33度、ただの一度も敗れなかった。


 一刀斎は老境に入るに及んで名声を捨て、下総においてその奥義を悉く神子上典善吉明(後に小野次郎右衛門忠明に改名)に与え飄然と何処かへ立ち去った。時は天正十九年(1591年)八月七日である。一刀斎はそれから脱俗出家し、その名を秘して、悠々として解脱の悟道に余生を完了した。


霞山 記

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