剣豪の人間形成(4) 小野次郎右衛門忠明(下)
小野次郎右衛門忠明 一刀斎が典善の将来大成する見込みがあると認めていうには『爾もし武術の精妙奥秘に達し、それによって身を立て功を挙げ名を成そうと望むならば、吾に従って諸国武者修行をなし、具さに辛酸を甞め心根を養い武技を練るがよい』と。 典善は、一刀斎に随身、諸国を遍歴し、高名な人とあっては典善がまず立合い、また師一刀斎が立合うのを典善が見て大いに学ぶところがあり、心身武技が次第に上達した。 一刀斎には予てより随身していた善鬼(元は船の船頭で名を長七と言った)という典膳にとっての兄弟子があり、膂力武技強剛で群を抜いていたが性来粗暴放漫であるため師の心に叶っていなかった。 一刀斎は、典善の人となりを信頼し、これに一刀流の統を継がせようと心潜かに望むところがあった。 一刀斎は或る日、典善独りに告げていうには『吾れ爾に一刀流の統を継がせ、爾によって一刀流を天下後世に敷かせるために爾に秘奥の一書を授けようと思う。しかし吾には爾より先に随身した善鬼がおる。いま爾の技倆を以てしては未だ善鬼の強剛なのには及ばないからわれ爾に必勝の法を授ける。爾よろしくこれによって戦え』と、即ち夢想剣の秘法に添えて一刀斎が身腰から離さなかった瓶割の一刀を授けた。 老年を迎えた一刀斎は或る日に善鬼、典善の二人を伴って下総の国相馬付近に到り、両人に告げていうには『吾れ少年の頃から武を嗜み、天下を遊歴して当代に武名を以て鳴る者を悉く訪ねて雌雄を決することいくたびに及んだが、ついにわれに叶う者がなかった。それからわれは天地神明に盟をたて、日月星辰を友として陰陽太極の道を剣に配して一刀流を創建充実し、以て天下万世に敷く基とした。いまやわが志願が成就してこれ以上の願望がない。而も早や老のわが身に迫るを覚える。故にここに於いて爾等の内一人に一刀流の奥秘を悉く伝えわが統を継がせようと思う。しかしこれは唯授一人の法であって二人に与えることができない。仍って爾等のうち優った者に伝えるから、この嚝野で潔く勝負を決せよ』と。 善鬼は、自分が高弟だからまず自分に授けられたいと懇願するが、一刀斎は許さず、善鬼は矢庭に側に置いてあった秘奥の書を盗み取って逃げ出し、松の木の側に伏せてあった大きな瓶に潜み隠れた。典善が走り寄り、一刀斎が遅れて遥かより『瓶を除くと脚を払われる。瓶諸共に斬れ』との言葉に応じて、瓶諸共に善鬼の頭を割った。 この時善鬼は、秘奥の巻物を口にくわえたまま離さなかった。一刀斎は是を見て、一旦善鬼に与えると云われた時に始めて巻物を口から離した、と云われている。 小野次郎右衛門忠明は、伊藤一刀斎から剣心一如の奥義を体得した。正に人間形成の剣豪の一人としてその名を今日まで轟かせている。 小野次郎右衛門忠明は、(1593年33歳)徳川家康に仕官して200石の禄高を与えられ、柳生新陰流と並ぶ将軍家剣術指南役となる。(1623年63歳没)病みて江戸に没す。 霞山 記
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