「剣豪の人間形成(7) 無住心剣術 針ヶ谷夕雲(下)」
Ⅲ無住心剣術(夕雲流) 夕雲流の特徴として「相抜け」「無形」「片手剣法」が挙げられる。 夕雲流は他流が「相打ち」を極意としているのを否定し、「相抜け」が極意とされている。夕雲は「相打ち」について「己に劣れるに勝ち、まされるに負けて、同じやうになるには相打よりほかはなくて、一切埒のあかぬ…畜生心を離れ所作(形)を捨て…」「…大悟し、…一切の所作(形)を破り」と他流を否定している。 夕雲流二代の小田切一雲は「いかように奇妙不思議の兵法者出来たりとも、至極にて当流と相ぬけの外に当流に勝つ事あるべからず」さらに、「去りながら天に日月あり、終に日二つ、月に二つ、一度に出たる例はなし。もし出るとも、一つは変邪の躰なれば、能々日ににたりとも、終には自滅すべし。仏在世に仏は唯我独尊にて、一世には仏は生せず。この理を以って見れば、当流相弟子中にも、同じやうの者一世にふたりはあるべからず。況や、他流の修行力を以って、当流の内意に徹して相ぬけせん事は更にあるべからず。」と断言していて自流の絶対を示している。 「相抜け」とは夕雲が用いた言葉で、「無住心剣」による立ち合いの理想を説いたものとされる。夕雲の言葉に「両方立ち向かいて平気にて相争うものなきが相抜け」で「争うものあれば相打ちなり」とある。また一雲は、「当流は聖意に基いて聖意にはまる上は、聖は古今一聖にして二途なく、上古の聖も末代の聖も符節を合わせたる如くにして一毫の差別なければ、何れを勝り何れを劣れると云うべき所もなし、聖と聖との出合いならばいつも相抜け也」と記している。 夕雲流は、極意を得たものは、他流同流問わず互い打てない、打たれない「相抜け」となる事を到達点としていたが、出発点として「相打ちを最初の手引とす」としていた。「相打ち」もできないものが「相抜け」が出来るわけないという事である。 夕雲は「相打ちといふ事、何の造作もない事のやうに、諸人は心得る事なれども、その場に臨みては相打ちを憚り嫌いて、全き勝ちを得たく思ふ」と捨身になる事の難しさを説いている。また、一雲は「相打ちに安んずる者は、近浅容易の事に似たりと雖も彼我一体万物平生生死一路の見に処せざれば則ち聊かも安んず可からず。吾流の学者行いに顧みて相打ちを容易にすることなかれ」と「相打ち」の容易ならざることを戒めて、彼我一体の見地に立つことで相打ちは可能と記している。 心得として「敵に向かい、太刀打ちする時でも、早からず遅からず、運速を加減するという事もなく、自分の自然な動きに任せ、強からず弱からず、強弱を加減すると言うことも無く、これまた自然に任せる。急に勇気を張り発する事も無く、又、怯えることもなく、敵を意識せず、自分をも意識せず、身近な例えで言うなら、朝夕の食事の時、膳に向かいて、箸を取る手の内が、刀を取るのに良い」と残している。 夕雲流の稽古法は、「当流片手にてまづつかい候事流儀の教にて候、…」そして「相打ちを最初の手引とす」とある。各自が片手で用いるに勝手の良い刀(自由な竹刀)を用いて、唯々、相打ちとなる様、よけず、躱さず、ただ真直ぐ純真な心持で間合にゆき、竹刀を引き上げ、自然と感ずるところへ落とす…片手が上手になれば両手も然り…というような稽古だったらしい。他流からは「子どもがあそんでいる様に見られる事もあるだろうが気にしてはならない」といっている。 「片手で…」とあるが、これは夕雲の左手が不自由になって夕雲流を起こしたことに由来すると思われる。 霞山 記
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