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執筆者の写真宏道会案内人

坐るというのは不思議な力 小川忠太郎先生剣道話(8)

小川忠太郎先生剣道話(8)~坐るというのは不思議な力~


80という歳は、なってみると相当なもんだ。私が喜寿の時、髭の老師(耕雲庵立田英山老師)が「喜寿なんか何でもない。80を越してみろ」と言っておった。


これはやっぱりそうだな。一年一年「ガクーッ、ガクーッ」とくる。

千葉のお医者さんに、髭の老師が82、3歳の時「私は今は、毎日2炷香づつ坐る」と言ったそうだ。

やっぱり色々工夫しているね。


「坐る」というのは不思議な力。私は体が悪いから、1炷香目は駄目、2炷香目になると少しいいんだね。


このことを以前、弧唱さん(妙峰庵佐瀬弧唱老師)に話したら、弧唱さんが「恥ずかしいけれども、私もそうだ。」と言っていた。たった62、3歳で。だから逝っちゃった。過労だな。その歳で1炷香目がまずいと言うのは、ちょっとおかしい。


2チュウ香坐るというのはいい。坐るのも、坐禅儀に則して本当に坐らないといけないね。

私の場合、体が悪いからね、坐り損なった時は2チュウ香目の終わり位になると、足にけいれんがきちゃう。

そういう時は、そーっと足を伸ばす。そうすると、すぐに治る。呼吸だ。

努力呼吸というのは中途だね。あれは初歩の方法だよ。自然の呼吸があるんだね。そこへはまれば何でもない。


この間も足が棒のようになっちゃって。呼吸がいかに大事かという事だ。


だから、今、色々な事が大事だけれども、坐るという事に力を入れてね。毎日1炷香坐る。

その秘訣は効果を求めないという事。これをやったから、こういう効果があるだろうなどと思わない。ただ坐ればいい。これは偉いもんだ。

自己流だと間違うから、指導者についてね。


昨日も講演に行った。会社員の課長クラス。剣道をやらない人。

でも、私の話が良くわかるんだね。ビックリする。40代の人が「私たちの生活は、先生の言う剣道で言えば、技だけやっている」と言っていた。

40代の人が若い人に追いつかれてしまっている。それに気がついている。やっぱり心の修行をしなければいけないとね。


それでは、何をすればいいのか? 坐る以外にない。

今からでも遅くない。


ただ、大学を出た頃に、坐る事に縁のあった人は幸せだね。

私の場合、両忘会に縁があったのは30の時だよ。


私のやった事のうちで、坐ることが一番良かった。


昭和55年2月

(『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より)


令道 記

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