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寶鏡庵長野善光老師 剣禅話(2) 剣と禅 総説(上)

寶鏡庵長野善光老師 剣禅話(2) 剣と禅 総説(上)

1 はじめに  人間禅の本部道場は千葉県市川市国府台にあるが、その広い境内の一隅に人間禅附属の宏道会剣道場がある。  明治の始め、山岡鉄舟・高橋泥舟・鳥尾得庵・中江兆民等の元老により、東京に創立された居士禅両忘会(人間禅の前身)は、昭和11年その本拠を閑静な現在地に移した。  その時の両忘会総裁は、在家の人々に対する布教のため円覚寺を出られた両忘庵宗活老師であった。 老師には乏しい道場建設費の中から、特に割(さ)いて剣道場を建設されたのは、剣の修行は禅の修行と密接な関係があるとの御見識によるものと思われる。  禅の修行は、大きく分けて、坐禅を組む静中の工夫と、作務・食事その他の動中の工夫の二つになる。ここにいう「工夫」とは、雑念を交じえず当面することに対してなりきって行く、即ち三昧になることで禅門では「正念の工夫不断相続」と云って修行の眼目となっている。 特に動中の工夫は非常に困難ではあるが、静中の工夫に優ること千倍万倍と古来いわれており、正しい剣道修行もつづまる処、動中における正念相続を修練するものであるから、剣も禅もこの点で一致するのである。

 この剣道場の老朽化にともない、妙峰庵孤唱老師が昭和41年に改築されたが、その正面の床の間の上には、両忘庵老師の法嗣耕雲庵英山老師の御染筆になる「剣禅一味」の額が掲げられている。  この度は、この「剣禅一味」に焦点をあてて、何故武術の剣と佛法の禅が一味なのかを、未熟ではあるが有志と共に考察してみたい。   2 「剣禅一味」の考察のすゝめ方  考察の仕方として全体を二部に分け、第一部ではわが禅門の修行者の中で宏道会で稽古している人達に、小野派一刀流・無刀流・直心影流について、その教えが禅に通ずるところの紹介と、併せて実際に稽古の上での工夫や体験・感想等を発表していただく。  第二部では、剣禅両道の修行者としての立場から、柳生新陰流の極意とされておる、澤庵禅師の御著『不動智神妙録』と、宮本武蔵が著した『五輪の書』から、剣禅一味の教えを解説していただき、ついで宏道会創立者妙峰庵老師と、宏道会最高師範元警視庁剣道主席師範無得庵刀耕老居士(故小川忠太郎先生)の剣道について紹介してもらい、最後に現在学校教育では剣道をどのように取りあげているかを、教育現場より報告していただく予定である。 3 古流各派の成立  さて、我国武道の歴史を見ると、殺伐な命のやりとりという武術が武道に昇華する過程の中で、共通して行われたことは、「死」を直視しそれを掘り下げたことである。 そして敵を倒して己が身を全うするため、体力を養い武技を練ると同時に精神気力を鍛錬し、聖賢の教えを学び徳性を養い、和戦いづれにも対処し得る全人的力を身につけたことである。 これを子孫に伝え人に教えるに至って各種各派の道統が立てられたのである。  それは剣道にも云えることで、室町時代より徳川時代初期にかけて多くの流派が、各地に続々と誕生した。その流祖と伝えられる人々は多くの場合、自己内心の敵即ち迷いの根源を裁断して、生死を脱得するため種々祈禱し、滝に打たれ、神社佛閣に参籠し、或は禅門に参じている。  これ等の流儀は現代では、古流とか古武道と云われ、竹刀剣道とは別の流れとして伝承され、ごく少数の人達によって護持されているが、竹刀剣道の原点はこれ等の古流の木刀稽古にあったのである。 (「人間禅」第164号より一部表記を削除修正して転載)

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