寶鏡庵長野善光老師 剣禅話(4) 剣と禅 総説(下)
終りに 1.生死脱得 道元禅師は【生を明らめ死を明らむるは、佛家一大事の因縁なり】と喝破され、また古来武士の剣術修行の目的は、【それ剣術は人に勝つことを求むるに非ず、大変に臨んで生死を明らかにするの道である】と、定義されていたことを思うと、元来坐禅と剣術は進む方向において一致しておるのである。 また円覚寺の洪嶽宗演老師は、【禅は心なり】と喝破され、幕末の剣豪島田虎之助は【剣は心なり】と断言している。 これを見ても剣と禅は生死を脱得するために心を練磨するものであり、ただその手段方法において相違があったことがわかる。 無得庵老居士は御著書『剣道講話』の中で、捨身(生死脱得)を体得する手段として勝れたものは坐禅であるとして、次のような話を紹介しておられる。 【将軍家光は若い頃から兵法を好んで、柳生宗矩を師範として学んでいた。宗矩は家光が将軍であるから兵法の全てを教えた。ところが、極意まで教えたにも拘らず、家光はどうしても宗矩にはかなわない。いったいどういうことか、家光は心を痛めていた。それであるとき宗矩が言った。“昔から、親が持っているものでも子には伝えにくいと申します。この上はただ自分の心に自得させる以外にありません。私は以前、ある師について禅を学んだところ、いささか得るところがあって、自分の術が進みました。言葉に言うことができない妙に至っては、禅の力を借りる以外にないと思っています”と。家光は大いに喜んで、そなたの学んだ師は誰ぞ?自分もその師について学びたいとのことで、宗矩は臨済の一派、沢庵禅師を推薦した。家光は沢庵を招いて教えを請い、坐禅を組んでその妙を得たという】 太平洋戦争終結後しばらくして、門外不出として秘匿されて来た各流派の極意が次第に公開され、その心法刀法も明らかにされた。しかしその理合を知りその形を実習して覚えても、それだけで極意を会得することはできないことは、将軍家光にその例を見るとおりである。 極意は絶対であるから、流祖伝来の口伝秘記を以てしてもこれを得ることはできない。最後は正師についてその指導に従い工夫練磨し、自力によって悟得体得するより他に術はないのである。 2.三昧と安心立命 一刀流に「切りは心を切らず心で切る」とあるのは、有心で切るのは正しからず、正確に切るには無心で切れということを教えるものである。この無心とは禅門でいう三昧に他ならない。 小野派一刀流宗家笹森順造先生は、御著書『一刀流極意』において、無心について【わが心鏡の内外が清浄であるから一法を捨てず、一塵を受けず、よく静にして動の用を失わない。万象面前に来ってその形相を悉く写して歪めず、即刻これを捉え、しかも心境に一亳の形影を残さない。万象一度去ると影を消して清浄の徳に輝くのみである】と説いておられるが、これは禅門における三昧の働きの一つ「正受にして不受」と一致するものである。 又一刀流の極意とされる夢想剣の働きについて次のように述べておられる。【夢想剣の無我無心、流露無碍、自由自在、神速玄妙なる所以は、この内外清浄の位に達しているからである】と。 そして次のように結論づけられている。 【極意に曰く「電光影裏転身去 更無一刀無無刀」と、既に刀を捨て殺活を離れ、諸相悉く滅して敵無く我無く、森羅萬象渾々沌々として大極の一に帰する。一切の顚倒無想を断截しその後に豁然として来るものは永遠の安心立命である。一刀斉が畢生の霊剣として大悟した夢想剣の極意は即ちこれである】と。ここにおいて剣も禅もその究極とするところは一つ、真の安心立命なのである。 3.自力による悟得体得 古来武道の極意の伝授については、師の方から進んで弟子に打ち明けることをしなかった。弟子が雨洗風磨の修行を重ね、若心惨憺して漸く感得する所があると、謹んで師の許へ行き、師に対し技と心の進境を示して指示を乞うた。師がもしその意に叶うとこれを免した。これを免許といい授与とは云わなかった。 しかも極意は他に求めず、自己の内に深く蔵れた宝を自ら掘り出すものとされて来た。この方法も、生粋の自力門たる禅門における師家の、修行者に対する指導方法と軌を一にする。 4.正念相続 小川先生は、古流と禅の教を常に稽古の上で工夫しておられた。その工夫の実際を、自らの御体験をもとに折にふれ話をされた。その中の一つを要約して以下に紹介したい。 “直心影流法定之形に、天上天下唯我独尊の境地という処があるが、道場に立った時五尺の体で相手に対すると思ってはいけない。それは相対になるからである。又相手を見てしまうのもいけない。これも相対になる。相対になるから打とう突こうの雑念が生じ、その雑念に五尺の体が使われ、自己の主人公(絶対の我)を失ってしまう。 それにはどうしたらよいか?天地乾坤ひっくるめて道場の板となして、その上にズーッと立ち上がる。これは座禅における自他不二、天地一枚の絶対的境地である。ここに立って、あとは念々正念の工夫をする。これを剣道における間というのである。この間に立てば、その場その場に応じて技は自から生じる。これを歩々如是という”と。 ここに出て来た「念々正念 歩々如是」の語は、小川先生の坐禅の師匠 耕雲庵英山老師が、正念の工夫不断相続のために、常に自戒しておられたお言葉である。 正念相続は禅門の険関にして秘訣である。小川先生はこれを剣道の上で、上述の通り工夫しておられたのである。従って先生の晩年の剣道は、専ら「正念相続」を試みられるものであった。 5.剣禅一味 笹森先生は「正剣の道」について次の通り述べられている。 【剣を学ぶ目的は正大の浩気を養うにある。心正しく体正しく行正しくなることを主眼とする。正を身につけ邪に勝つ人となるのである。正しい剣の道は歪んだ人の心と曲った社会の姿を正しくする。云々】と。 これは我が人間禅の標榜する、坐禅の修行による人間形成と社会形成の教えに全く合致する。しかもこの目的達成のための道程においても、剣と禅はすでに述べて来たように、要処要処で奇しくも一致しておるのを見れば、世に剣禅一味と称せられるのもうべなるかなである。 ここで「正剣の道」で述べたら「正大の浩気」について一言触れてみたい。 幕末、のちに円覚寺管長となられた今北洪川禅師(山岡鉄舟居士の師)が、儒門から禅門に身を投ずる動機となったのは、この「正大の浩気」即ち孟子浩然の気に対する大疑からであった。 「浩然の気」とは如何なるものか? その真底を悟得するために、妻子と離別して禅門に入り、辛惨苦修数年の後、遂にこれを体得された。「正大の浩気を養う」には、まず浩気そのものを体得することが先決である、とするのが禅門の行き方である。洪川禅師の法を継承する我が人間禅には、現にこれが公案として伝承され真剣に工夫されている。 小川先生はお若い時から、毎日約1時間坐禅を組まれるのを日課として、稽古をつづけて来られた。それが御高齢になられてからは、毎日2時間の坐禅をされないと稽古ができないと申され、満91才で亡くなられるまでそれを実行しておられた。 小川先生にとっては、正しく坐禅は剣道の土台をなしていたのである。 坐禅の仲間でも、昇段試験とか大事な試合に臨む時は、例外なく平素よりもよけいに坐禅を組み、より真剣に数息観に取組んだと聞く。本格の禅に参じた者ならば、たとえ高段者でなくても、坐禅が剣道の土台であるということは、体験を通して実感していることである。 「剣禅一味」は先人達が、その命懸けの修行を通して遺され尊い教えであることに思いをいたし、正しい剣の道を求めている多くの方々が、これを機会に本格の禅に参ぜられることを切に期待するものである。 (「人間禅」第165号より転載)
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