小川忠太郎先生剣道話(6)~相手に執着しないというのが修行~
地稽古の場合に、みんな右手が堅くなる。
右手は卵を握ったように。相手に対して負けまいという気があると右手が堅くなる。負けまいと思うと相手と対立になっちゃう。そうなってからやる稽古は、稽古じゃない。
相手と対立しているのは無駄な稽古だ。これを直すにはどうすればいいかと言うと、負けまいという気持ちを降ろしてしまえばいい。
胸から腹、足腰の方へ降ろしちゃえばいい。
これが修行の根本なんだ。
負けまいという気持ちが胸から上へ来ちゃって、それが肩へ来る。それを降ろすのが修行なんだ。
これをしっかりやらなくちゃいけない。
直心影流の法定は、これを降ろすでしょ。下へ下げる。これをしっかりやる。これをしっかりやりさえすれば後は簡単なんだ。
本体さえ出来ていれば、右手は堅くならない。
左手が元で、右手を添える。たったこれだけのことだ。たったこれだけのことが一生出来ない。
だから話なんていくら聞いたってつまらないことだよ。
山岡先生の稽古だってそれだけのことなんだ。何の秘伝もありはしない。
気持ちが自然に真っ直ぐになる。竹刀の持ち方も自然になる。ただ相手があると変わっちゃう。そこが問題なんだ。
一人なら出来る。相手があると変わる。
つまり、相手に執着する。
相手に執着しないというのが修行なんだ。
だから、相手が遠くにいる時は気にならない。一足一刀の間合に入ると執着する。負けまいとする。
すると右手が堅くなる。肩へ来る。ただそこだけだ。その修行だよ。これが実に骨が折れる。
これの近道は 「形」を修行すること。古流の形はそこから出ているんだから、形をしっかりやる。
しかし、形だけじゃ足りない。形の時は打ち合いがないから、腹に入ってちゃんと出来る。
稽古になると出来ない。
形で練って、そして稽古でそれが実際に出来るかどうかやってみる。
剣道は応用問題。これで試験していく。この道が一番近い。
たから、昔は形が一人前に身に付くまでは稽古をやらせなかった。
今は形なんかやらせる者はないです。子供の頃から試合をやらせてる。勝った、負けたで始めてる。
一生涯、勝った、負けたで終わっちゃう。
(次回に続く)
昭和55年2月
『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より
令道 記
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