小川忠太郎先生剣道話(50)~立ったままの遷化~
色々なものを研究すると面白い。剣道は坐禅と違って立ってるからな。 三祖僧サン大師は、大勢の人にお説教して、終わった後、大きな樹の下で「立ったまま」遷化した。 偉い力だな。 坐っての遷化はあるが、立って遷化というのはすごい。 三祖大師。 三祖大師の「立った」「あれで」構える。 同じ人間だもの、出来ない訳はない。 そこへ「ズーッ」と。 赤ん坊もそうだ。 1歳ぐらいになってね、お母ちゃんが呼ぶと、やっと立つ。 初めてだと、手で調子を取りながら立つ。 おいでおいでをすると2、3歩あるいてベタッとなる。 あの「立ち姿」だ。 何の意識もない。 それで、ちゃーんと大自然と一体になってる。 だから歩ける。 そこなんだ。 全然頭を使っていない。 それでも歩くことは歩く。 そういうところをいつも念頭において修行をしていると、剣道の本当の構えが出来る。 これは一つの「公案」(こうあん。禅宗において修行者が師家から与えられる問題)だな。三祖大師の「立ったままの遷化」。 実際には出来はしないが、偉いもんだねーッ。 立ったかたちはともかく、その境涯がね。 だから剣道は、あんまり技に走っちゃうと、剣道そのものが無くなる。 一刀流の最後の教えに「見山」というのがある。 「山を見る」。 「○」が書いてある。 全部技を取った後のかたち。 だから、叉手当胸だよ。 これが剣道だ。 この中にあらゆる技が含まれている。 これが剣道の本目録の最後だ。 それだから、一刀流は「道」に適っている。 「当てっこ」じゃない。 昭和56年11月 (『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より) タイトル、構成、()内…栗山令道
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