小川忠太郎先生剣道話(41)~自分が透明になる~
剣道は理論でなく、実際にやれるから有り難い。 その「だんどり」として、切り返し、掛かり稽古で自分の統一をする。思った通りに動ける体をつくる。 そうやって行くと、剣道がますます深くなる。 当てっこの剣道をしていると、当たるうちはいいけれど、段々歳をとって当たらなくなると、分からなくなって迷っちゃう。 何がなんだか分からなくなっちゃう。 だから、そういうところが大事だ。 相手の精神、心というものは剣先に現れている。 剣先が動くということは、心が動くということ。 相手の剣先の動くところを「パッ」。ちゃーんと決まっているところへ真っ直ぐ行けば、突かれちゃう。 動くところを「パッ」。 動くところがちゃんと分かるくらい、自分が透明でなくちゃいけないわけだ。 「動くかな?」なんて思ったら、こっちの剣先が動いちゃう。 そこが修行なんだ。 僕はそんなことは出来ない(先生は当時すでに耳を悪くされている)が、玄峰さん(『白隠禅師の再来、昭和最大の禅僧』などと称された高僧。戦前戦後に亘る政財界要人の心の師、影の指南役ともなり、戦後日本の復興にも少なからぬ影響を与えた。)なんか、線香をこう立てて坐って、線香の灰の落ちる音が聞こえるんだそうだ。 小さな音だよ。それが「ポツーン」と聞こえる。 そのくらい透明にならなくちゃ。 人間というものは、一所懸命やるとね。 昭和55年7月 (『小川忠太郎先生剣道話 第一巻』より) タイトル、構成、()内…栗山令道
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